「好きの反対」

 

前記事にコメントいただいた方、ありがとうございます。個別にお返しできておらずすみません。

 

一つ訂正するなら、私はももクロ時代の、特に2016年までの有安さんについては嫌いという気持ちはないです。

無理してでも彼女のファンのためによく頑張っていたと思います。 

 

 

 

あれから、改めていろいろなことを考えて、前記事からいろいろな気持ちの推移がありました。 

 

そして、前記事で有安さんの自由について言及しましたが、よく考えれば、彼女は世間的に見ればこれ以上なく自由なのかもと真逆のことを考えておりました。

 

 

だって、2017315日、まだももクロ在籍時の22歳の誕生日、ちょうどその日に、

彼氏さんに自分のためだけの会社をぽんとプレゼントしてもらってるんです。(詳しくは登記に関するニュースを見て下さい)

 

これでいつでもアイドルを辞めていいって。 

イヤなこともつらいこともしなくていい、好きなことだけやっていいんだって。

彼からいったら、そういう意味があったのかもしれないですよね。

 

これって、どんな古参ファンにも出来ない、究極の愛情表現ですよね?

応援ブログを書くとか、声を張り上げて応援するとか、Twitterで擁護するとか、ペンライトを振るとかじゃなくて、社会性と実用を纏った、これ以上なく常識的な、男として、人間としての正しい愛情表現。

 

私はむしろ、この彼氏さんに対しては、圧倒的に正しい人だな、と感心している心境です。

 

洗脳とか、そういうメディアが書きたがるような意図ではなくて、本当に二人にしか分からない愛故の行動なんでしょう。

 

ファンというのは、しょせんカメラマンの撮った写真のひとつやふたつ貼り付けて、もしくは多くの観客に紛れて大声を張り上げて「頑張れ応援してる」か「ゆっくり休んで」と言うことしか出来ない生き物ですが、今の彼氏さんは彼女が一番欲しいものを与えることが出来た。

これ以上ない安心と幸せと将来を彼女に約束したわけです。 

その時点で、有安さんの中で奇跡とは彼と出会えたことになったのかもしれないですよね。

22年間得ることの出来なかった幸せと安心を与えてくれた人。

 

「4人とモノノフさんで奇跡の5人。 」 

その言葉は謙遜ではなく本当に思っていたことだったんだろうなと、今ではそう思えます。

 

 

  

そして今の有安杏果さんとは、資金力のある独身の彼氏の元で、活動資金の心配もなく、セールスで結果を出す必要もなく、苦労して色んなファンをつなぎ止める努力も必要なく、ただ、自分のやりたい歌と写真だけ追求できるという、仕事というよりは、究極の道楽を得たということなのだと思います。

 そんな生活を、過去の努力と愛によって勝ち得た人を批判することをしてはならないなと、今、私は反省しているところです。本当に、愚かだったと思います。

  

私も、多くの人がいうように、仕事と私生活は分けるべきだと最初は思いました。

しかし、彼女の去年からの行動や言動と照らし合わせてよくよく考えれば、彼女の私生活の中に歌と写真の活動があるというだけのこと。

 

彼女はもう歌で必死に食べていく必要はないと考えれば、世間に「お騒がせしまして…」なんて詫びる必要もない。ましてや記者会見なんて全く意味はない。彼氏が社長だってなんの問題もない。

もはや、労働讃歌なんて過去のことだと鼻で笑えちゃう次元での新しい人生を送っているんだと思います。 今や、ある意味生活面でいえば、ファンの誰よりも恵まれた生活を送っている人なのだと。

 

 

 

そして、そんな彼女に対してどう己を位置づけるかについて、イニシアチブはあくまでファンの方に委ねられています。

彼女の歌声は変わらないでしょうから、歌を聴きたければ応援、というより、投資をすればいい。

そうでないひとは一銭も払わず去る。

それでいいんだと思います。

  

少なくとも、ファンが必死に支えなきゃ!って次元にはもういないことは確かなのだから、

昔ほどの熱量を持てないことにファンが罪悪感を覚えたり、応援できないという人をファンの間でなんとかつなぎ止めようとする必要は全くないと思います。

つなぎ止めるという行為に、自分が寂しいからっていう動機があるなら、切ないけれど…

  

ももクロ時代とは、彼女の姿勢自体もとりまく環境も180度変わっているんですから、ファン側もももクロ時代と変わらない姿勢で応援する必要もないし、それを義務と思っているならむしろファンの傲慢であるとすら思います。 

そして違和感の方が大きくなったなら、それは貴方が彼女の世界に必要なパーツではないということ。

そして、そう考えれば、彼女に裏切られたとか、がっかりだとか、そういう気持ちは薄れるのではないかな?と思います。 

 

彼女はもうももクロじゃない。

 

ももクロの中で頑張っていた有安杏果はいなくなった。

 

ももクロの中で頑張っていた有安杏果を応援するあなたもその時いなくなった。

 

今の有安杏果さんに違和感を持ってしまったなら、それは有安さんがとか、誰が悪いわけでもなく、

ただあなたが「今の有安杏果」の「必要とするファン」の定義から外れただけ。 

そう思えば潔く去って行けるのではないでしょうか。

世の中には試練を乗り越えながら頑張ってるアイドルだってアーティストだって沢山居るんですから、新しく応援できる人を探せばいいだけ。

 

 

いつでも、決める権利があるのはファン自身です。

 

一度きりの人生の時間を、働いて得た大事なお金を、何に使うかはファンが決める。

 

無責任に、自分が楽しいと思えることに使えばいいんです。

 

自分が支えてるなんて、ファンが自分の時間とお金の使い道が正しいと思いたいための建前ですからね。

ファンは、次の日からファンをやめたっていい。3年後にまた好きになってもいい。

どこまでも自分勝手でいい。そう思います。

 

 

 

 

 

今後も、彼女が欲しいものはファンがどうこうせずともあの彼が全て与えてくれると思います。 

煽りでもなんでもなく、本当に。

そのために年齢とか職業で色々と攻撃してくる世間に言い訳せずに、ずっと彼女の傍に居て守っているんでしょう。

狭い世間で攻撃しあうだけのファンや元ファンやモノノフよりずっと彼女に深い、身のあるポジティブな愛を与えている。

そういう人が確実に傍に居るということが分かっているだけでも、彼女のファンは幸せだと思ってしまいます。

それはもう私が外野だからかもしれないけれど… 

「推しが幸せならOKです」ってそういうことですよね。

  

そしてその事実が彼女のあの歌声に影響するわけではないのだから、変わらず彼女の歌声に投資する人のことを批判することもおかしいですよね。 

彼女のももクロ時代の、抑圧された精神論を説く路線はもう厳しいかと思いますが、その自由さや彼の愛情深さから得たモノによって新たな魅力が出てくるかもしれません。そしてそういうのを見ていたいファンももちろん居ると思います。

それは盲目だからとかではなくて、その人にとって、「歌さえ歌っていてくれたら」、彼女への投資に足ると考えているということですから。

 

 

私は、普通の女の子、という表現のニュアンスを取り違えていて、、

彼女は「ももクロでない女の子」になっただけなんだと自己解決しました。

 

あの頃みたいに慣れないことを頑張ったり、高い壁に立ち向かったり、ファンの望むように生きたり、無理して歩み寄ったり、周りの人の声を聞き入れなくてもいい女の子になった。

 

「愛する彼と、音楽と写真があれば生きていける女の子」になったことを、

彼女の中では「普通の女の子」と位置づけているのだと感じました。

 

そして、そんな女の子に投資してくれる人間を、「ファン」と呼ぶのでしょう。

 

ようやくそれが理解できて、ようやくそれを咀嚼できるようになりました。

それだけのことに、これだけ時間がかかってごめんね、有安さん。 

 

そして、彼女が贅沢かつ充実した生活が出来ている事に対して、それにとやかくいうのは私としても違うなあと思ったので。

 

今は、彼とこのまま順調におつきあいして、結婚して、幸せになって欲しいなと思います。

でもあんまり、彼氏さんに甘いタピオカミルクティーを飲ませすぎないように・・・!笑

 

 

  

こんなブログになって、がっかりだと思う人もいるかもしれませんが、正直な今の気持ちです。

 

不思議と、離れてみればこういう達観的な、楽観的な視点で物事を見ることができるようになるんだなあと思っています。

 

しばらくしたら、以前のエントリーも全て、消去しようかなと思っています。

こんなつたない文章を読んで下さった方、本当にありがとうございました。

 

 

 

有安さんのファンからしたら、彼女に怒っている人や他界宣言をする人は目障りかもしれませんが、その人は彼女にまだ愛着がある立派な人だと私はそう思います。

  

愛って、とても複雑なものですね。

 

 

どうぞ、皆々様方、お幸せに。